- 解説一覧
- ダリア(Dahlia pinnata)について

基本情報
- 花期
-
寒地では6月から霜が降りる頃まで、暖地では6~7月と9~11月である。
参考文献
- 岩佐吉純, 小山博滋 1997 ダリア, 八尋洲東(編) 植物の世界1,種子植物 双子葉類1. 朝日新聞社. 131₋132.
最終更新日:2020-05-21 ハリリセンボン
- 学名の解説
-
本学名は、半ば八重咲となったものにつけられたものに由来する。
参考文献
- 伊沢凡人 1980 ダリア, 伊沢凡人(著) 原色版日本薬用植物事典. 誠文堂新光社. 63.
最終更新日:2020-05-21 ハリリセンボン
- 別名・方言名
-
別名:ダーリア、テンジクボタン
参考文献
- 伊沢凡人 1980 ダリア, 伊沢凡人(著) 原色版日本薬用植物事典. 誠文堂新光社. 63.
最終更新日:2020-05-21 ハリリセンボン
- 人間との関係
-
ダリアがヨーロッパに入ったのは、フランス革命が起こった1789年のことで、原産地のメキシコからスペインのマドリード植物園に送られた種子が、翌年の1790年に開花し、半八重の花をつけたと言われている。
コスモスを命名したことでも知られるカバニエス神父は、これをダリア・ピンタナと命名した。
属名のダリアは、リンネの弟子でもある18世紀のスウェーデンの植物学者、ダール(A. Dahl)の業績を讃えてつけられたものである。
それ以来、現生地と気候が似ているイギリス、ニュージーランド、オーストリア、米国、南アフリカなどで多くの国で品種が改良され、それらの国では、国立のダリア協会ができたほど愛好されてきた。
だが、このダリアがヨーロッパにもたらされるまでには、16世紀初めのスペイン人によるメキシコ征服以来、200年以上かかっている。
フェリペ2世時代の自然科学者ヘルナンデス(F. Hernandez)は、1651年に出版された新世界の植物に関する書物のなかでダリアを紹介したが、これは半八重咲きだった。
日本にダリアが入ったのは、江戸後期の1841年(天保12)というのが定説で、オランダから長崎にもたらされたという。そのころは、「天竺牡丹」あるいは「ラノンケル」と呼ばれた。
当時、吹き詰め咲きと呼ばれたタイプは、今でいうインフォーマル・デコラティヴ咲きといえるものである。
明治以降、全国で品種改良が進んだが、1975年ごろからは、建物の高層化による日陰の増大などによって栽培が激減し、切り花としても水揚げが悪く、花もちしないことなどから需要が減っている。
しかし、花弁の派手さや光沢、花形、花色の多様さは、園芸植物の中では比類がなく、品種数は3万を超える。とくに花色は、青と黒以外はすべて揃っているほどで、二色咲きのコントラストには、バラにはない見事さがある。
【成分】
塊根中にイヌリンが約8%含まれる。イヌリンは果糖からなり、果糖はブドウ糖に比し、糖尿病者によいとされる。
参考文献
- 岩佐吉純, 小山博滋 1997 ダリア, 八尋洲東(編) 植物の世界1,種子植物 双子葉類1. 朝日新聞社. 131₋132.
- 伊沢凡人 1980 ダリア, 伊沢凡人(著) 原色版日本薬用植物事典. 誠文堂新光社. 63.
最終更新日:2020-05-21 ハリリセンボン
形態
- 葉の形質
-
葉は対生し、羽裂~再羽裂し、小葉はほぼ卵形で、表面は緑が濃い。
裏側は白味をおび、質は軟らかく、へりはあらく切れ込む。
参考文献
- 伊沢凡人 1980 ダリア, 伊沢凡人(著) 原色版日本薬用植物事典. 誠文堂新光社. 63.
最終更新日:2020-05-21 ハリリセンボン
- 茎(幹)の形質
-
茎はなめらかで、枝をだして 1~2 mぐらいになる。
参考文献
- 伊沢凡人 1980 ダリア, 伊沢凡人(著) 原色版日本薬用植物事典. 誠文堂新光社. 63.
最終更新日:2020-05-21 ハリリセンボン
- 根の形質
-
地下の塊根はサツマイモ状で、いくつも集まっており、春芽を出す。
参考文献
- 伊沢凡人 1980 ダリア, 伊沢凡人(著) 原色版日本薬用植物事典. 誠文堂新光社. 63.
最終更新日:2020-05-21 ハリリセンボン
- 花の形質
-
分枝した先に頭花がつき、1頭花の径は 7 cmぐらいある。
まわりの舌状花は美しく、赤、黄、紫、白、中間色などいろいろで、また八重咲品もある。
参考文献
- 伊沢凡人 1980 ダリア, 伊沢凡人(著) 原色版日本薬用植物事典. 誠文堂新光社. 63.
最終更新日:2020-05-21 ハリリセンボン