- 解説一覧
- トマト(Solanum lycopersicum)について

基本情報
- 生活形
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一年生作物
参考文献
- 2012 世界の食用植物文化図鑑 起源・歴史・分布・栽培・料理 - 書籍全体, バーバラ・サンティッチ、ジェフ・ブライアント(著) 世界の食用植物文化図鑑 起源・歴史・分布・栽培・料理. 柊風舎. .
最終更新日:2021-01-29 ハリリセンボン
- 原産地
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ペルー
参考文献
- 2012 世界の食用植物文化図鑑 起源・歴史・分布・栽培・料理 - 書籍全体, バーバラ・サンティッチ、ジェフ・ブライアント(著) 世界の食用植物文化図鑑 起源・歴史・分布・栽培・料理. 柊風舎. .
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- 分類学的位置付け
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リコペルシクム(Lycopersicum)属
参考文献
- 2013 日本の野菜文化史事典 - 書籍全体, 青葉高(著) 日本の野菜文化史事典. 八坂書房. .
最終更新日:2021-01-29 ハリリセンボン
- 人間との関係
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トマトは南米ペルーのアンデス高地に野生種が分布し、原住民の移住に伴って中央アメリカに伝わり、この地域で作物化が進んだものとみられている。
メキシコを征服したスペイン人により16世紀にヨーロッパに入り、最初は観賞用として栽培された。食用に供されたのは18世紀以降で、野菜として普及したのは欧米においても19世紀以降である。
日本では1661~1672年、長崎に伝来したといわれ、狩野探幽の『草木花写生図巻』(1668年)に唐なすびとして描かれている。その後明治初年にまず9品種が欧米から導入され、蕃茄(アカナス)の名で試作された。当時は独特の臭いや色をもつなどの点から普及しなかった。明治42年以降農商務省の統計に載るようにはなったが、当時の作付面積は全国合計で三九・四町歩に過ぎなかった。
大正時代になって北海道と愛知県を中心にして栽培が徐々に増加はしたが、茎葉が臭く、さわると橙褐色に染まり、また栽培品種も小型のペアートマトやチェリートマトと呼ばれる、ホオズキ程度の大きさのトマトが主で、あまり食べる人はいなかった。
その後新しい品種もあらわれ、栽培は漸次増加し、昭和に入るころは作付面積も全国で1,500町歩程度になった。それでも収穫量は現在の10分の1程度にしか過ぎない。トマトが普通の野菜になったのはこのように近年のことで、年配の人たちはこの移り変わりを良く知っている。
第二次大戦後食生活はかなり洋風化し、サラダ野菜の消費が急激に増加し、これに伴ってトマトの消費も増大し、昭和55年頃の作付面積は19,000ヘクタール、収穫量は100万トンを超している。またジュース、ケチャップなどトマトの加工品の需要も増大したが、外国で多い果実の缶詰加工は少ない。なお昭和40年頃加工トマトの量は全出荷量の2割強であった。
日本のトマト加工は意外に古く、明治39年に蟹江一太郎氏が愛知県に加工場を開いたことから、愛知県下で始まった。しかし盛んとなったのは、第二次大戦後である。
【食べ方】
世界でももっとも幅広い用途に使われ、またサラダ用にも使われる植物である。生で、または調理して食べられ、砂糖煮にもできる。缶詰にするほか、乾燥させる、さまざまなソース(トマトペーストや濃縮など)にも加工できる。一般にスープ、煮込み、パスタ、またはピザのトッピング、サラダ、サンドイッチなど、多くの料理に使われる。
参考文献
- 2013 日本の野菜文化史事典 - 書籍全体, 青葉高(著) 日本の野菜文化史事典. 八坂書房. .
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形態
- 葉の形質
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葉は緑色で切れ目が深く、裂片は9枚まで入っている。
参考文献
- 2012 世界の食用植物文化図鑑 起源・歴史・分布・栽培・料理 - 書籍全体, バーバラ・サンティッチ、ジェフ・ブライアント(著) 世界の食用植物文化図鑑 起源・歴史・分布・栽培・料理. 柊風舎. .
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- 茎(幹)の形質
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茎は直立するか匍匐し、毛が多い。
参考文献
- 2012 世界の食用植物文化図鑑 起源・歴史・分布・栽培・料理 - 書籍全体, バーバラ・サンティッチ、ジェフ・ブライアント(著) 世界の食用植物文化図鑑 起源・歴史・分布・栽培・料理. 柊風舎. .
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- 花の形質
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1本の茎に、開いた星形の黄色い花を12個までつける。色は赤、黄、オレンジ、また黒っぽいものもある。
参考文献
- 2012 世界の食用植物文化図鑑 起源・歴史・分布・栽培・料理 - 書籍全体, バーバラ・サンティッチ、ジェフ・ブライアント(著) 世界の食用植物文化図鑑 起源・歴史・分布・栽培・料理. 柊風舎. .
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関連情報
- 栽培方法
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トマトはどの葉の葉肢からも側芽が伸びだし、これを放っておくと藪状になる。そこでトマトを栽培する場合は、側芽は全部摘み取っていわゆる一本仕立てにするか、最初の花房の下の一本だけ側枝を残し、主枝と合わせて二本になる二本仕立てで栽培している。
トマトは元来主旨では本葉が八枚前後、側枝では五枚で最初の花房が着き、その後は葉が三葉着くごとに次の花房が着く。このような特性を着花(果)の習性と呼び、果樹や果菜類では着花習性に基づいて整枝や剪定を行っている。
トマトの場合、従来は前に述べた一本仕立の方法で栽培することが多かった。昭和56年に千葉県農業試験場の青木宏史氏によって連続摘芯整枝法と呼ばれる方法が考案され、最愛農家の間でも注目された。
この方法では、主枝は第二花房までならせ、第二花房の上は二様を残して芯を止める。そして二本仕立の場合と同様に第一花房の下から出る強い側枝を残して、それ以外の側枝は掻いてしまう。側枝は五葉で最初の花房(株としては三番目)が着き、三葉で次の花房が着く。この二花房が見えたらまた二葉残して芯を止め、最初(株としては三番目)の花房の下から出た側枝だけを残す。この側枝から前と同様に二花房、それから出る側枝からまた二花房というように花房を着け、これと並行して花房の着いた枝は曲げてしたに垂れ下げる。
このやり方では草丈はあまり高くならず、栄養の流れが順調で、果実の肥大がよい。トマトは元来アサガオなどのように物に巻きついて這い上がる植物ではなく、キュウリやサヤエンドウのように巻きヒゲで立ち上がる植物でもない。トマトのこの整枝法は、そういったトマトの本性に従った方法であるので、果実の肥大も順調であるとこの方法の創案者は述べている。このような新しい栽培法も工夫されている。
参考文献
- 2013 日本の野菜文化史事典 - 書籍全体, 青葉高(著) 日本の野菜文化史事典. 八坂書房. .
最終更新日:2021-01-29 ハリリセンボン